再生

新聞記事に、認知症のお年寄りの世界を理解すること、彼彼女らの恐れや不安、緊張をわかってあげることの大切さが書かれていた。ある程度納得できる。が、本当に、恐れや不安や緊張なのだろうか。とも思う。

父は心臓壁にこびりついていた血栓がはがれとび、脳梗塞となり、半身の随意と、知性の大半を失った。
が、私はその時の父が、苦労したり、恐れたり、不安に苛まれていたと、いまいち感じられなかった。

もちろん、そのように見えることもある。いらだちや怒りを隠さない父の姿に母も私も激怒したこともある。

だが、あれは、本当に私や母と同じ類のいらだちや怒りだったのか?

いつもの癖で、本来他人の怒りや不安や恐れは不可知なものである、と筆を滑らせたくもなるが、いや、その方向の議論は、いったん判断保留にしても、あの時の父が、私たちと同じ人間のあり方であるとは、その時も今も、思えないのだ。

脳の機能の多くを失った父は、脳の構造も含めた自分の身体を、ただただ作り替えようとしていたのではないのか、それを不安とか、恐れという言葉で回収すると、そこにある生命活動を見失いはしないだろうか。

人が生きる、というとき、私たちは健常者(最近知った言葉でいうと定型内心身)の生を念頭に置きがちだが、定形外の心身も、もちろん生きている。例えば、小泉義之の言う「病の生」のように。その生が、定型内の生と同じである必要がどこにあるだろう。

(使ってみてわかったが、定型内、外という言葉も境界がくきやかにあるイメージを与え、これはこれで落ち着きが悪い。もちろん、定型内と定形外の境界はグラデーションし、互いに陥入・干渉し、どちらともいえないグレーゾーンが広がっているのだ。)

生は、その名の通り、生きようとする意志だ。その意思の顕現が、私たちの生活感情と同じものである保証はないし、似てまったく非なるものかもしれないではないか、というより、病んだ父が私に突き付けてくれたのは、まさにそうした「別の」豊穣や試行、工夫だった。

だから、自分が認知症になったとして、その経験が、今私が不安・緊張・恐れと呼ぶものに近しいとしても、それはやはり今の私の不安・緊張・恐れではないだろう。

なお、このとき「希望」の語は「生き抜くこと」の同意語として、どのような生についても応答するのだと感じているのだが、もしかすると、これもまた分解されるべき概念なのかもしれない。

#以上は、これまで断片的に言ったり書いたりしていたことだが、まとめてみたくなった。まとめて、発見できたのが、上記の最後のセンテンスだ。希望ですらない「生」があったとして、当然それをも肯定的に語りたい自分がいるが、その欲望は何か?そしてその語法はあるのか。