1989年11月のインタビュー再録
連休中、飯塚優子氏のところで古いDiがきちんとファイリングされているのを見せていただく。萬年俊明氏のインタビュー掲載号(1989年12月号)を借りてきたので、以下全文掲載(文中の注も原文のもの)する。飯塚優子さんに感謝。
参考萬年俊明を弔う - 「engeki」的
萬年 俊明(デパートメントシアター・アレフ代表)インタビュー
1989年11月 インタビュアー 本間盛行/溝手孝司
今回のインタビューは、この九月十月と精力的な活動を行ったデパートメントシアター・アレフ代表の萬年俊明氏である。萬年氏は一つ一つの問いに自負と配慮の微妙なバランスを保ちながら答えてくれた。そうした繊細さが、アレフの芝居にも見え隠れしていたように思える。本当に頑張って欲しい劇団の一つだ
では、インタビューをどうぞ。
−まずアレフの経緯からお聞きしたいのですが。
旗揚げしたのは八三年一月です。*1暫く東京で、天井桟敷に参加したりして、札幌に戻ってきて、八二年頃市内の公演を片っぱしから見たんです。だけど、見れば見るほどやりきれない。で、悪口ばかり言ってても仕方ないから、自分で始めてみよう、というのがきっかけでした。最初は二・三年のつもりだったんです。
−最初は文芸センター*2中心に活動されてましたよね。
ええ。あそこが取り壊されて今の場所*3に移りました。
−アレフと言うと、野外公演や、今回の屋上公園のような場所に対するこだわりを感じるんですが、それは何かきっかけがあったんですか?
いえ、僕は最初っから、異空間を創って、そこに足を踏み入れることから芝居は始まるって考えを持っていました。劇団を続けて行くうちに、スタッフや体制が整って、知り合いも増え、頭の中だけで考えていた場所での公演が実現するようになったということです。
−つまり、意識的に特異な場所を選んでるってことじゃない、と。
ええ。色々な空間を使ってやる、ということだけ僕たちの特色だと見られるのは否定したいですね。
公演場所を捜して、芝居をやるというのは当たり前のことだと思いますから。
OKUJO〜百億光年漂流之段
−あの屋上は、どうやって見つけられたんですか?
今年の頭から屋上公演というイメージがありました。で、捜したんですが、壁があったり、ノイズが邪魔だったりで、苦労しました。本当は夏にやりたかったんですけどね。
−寒かったです。
うーん。それは批判されるべきことなんですが、それも一つの体験としてあるんじゃないか、と開き直ってます。(苦笑)
−OKUJOに関して、一つ不満なのは、イェローケーキ*4を外に投げなかったことです。
是非投げて欲しかった。
いや、投げる予定だったんです。でも危ないですよね。ビルの管理者の方も含めて、共同で芝居を創っているから、出来ないことも出てくるんです。
台本段階では、いろいろ外に投げる予定でした。他にも屋上の外に装置を仕込むプランもありました。
−僕の非常に好きだったのは、遠くを電車が走っていったこと。それから、忘れられないのは、少女がマッチをすった瞬間に花火が炸裂するシーン。背筋がぞくぞくしました。
花火に関してはイメージ通りでしたね。(笑み)
−百億光年漂流之段についですが、マルサというのは、どうして決まったんでしょうか。
今回、屋上の後は狭い空間で、と考えていました。そこへマルサのほうから、十五周年のイベント組むから、何かやらないか、という話があって、じゃマルサの中にテントたてようって僕が言い出しました。が、向こうの人が出来る筈ないって言う。それで出来ますよって企画書を書いて、困難を一つづつ潰していって実現しました。
−あの短さ(一時間強)は、マルサ側からの制約ですか?
いえ、短いのをやってみたかったのと、レイトショーを組んでみたかった。それであの長さになりました。
−あの短さなのに、ズシっとした重量感を感じました。
最初の頃は凄くウスかったんです。
台本書き直して役者と話して、何とかアツくしました。苦労しました。
全体を見ながら手直しを繰り返して運良く重量感が出ましたね。
−OKUJO、百億光年共に夢落ち半ひねり、というラストだったですが。
偶々似通ってしまったな。(苦笑)
演出
−アレフの芝居は、作のイメージや空間の捉え方が完成されていると思うんです。けれど役者さん達は縛られずに伸び伸び演技している。演出は何を大切にされているんでしょうか?
僕はテンポとリズムだけ譲りませんけど、後は勝手にさせてます。
−テンポとリズム?
お客さんの感じるメリハリみたいなものは、役者とつめて、がっちり決めます。始まりをどんなスピードで入って、どう盛り上げるか、みたいなことですね。演技のプランなんかは自由なんです。芝居は複数のイマジネーションが混在したまま創りたいから。
−例えば、今までの公演作品を戯曲として発表することはないんでしょうか?
それも、最近よく言われるんですけど、やはり舞台を出来上がりとして考えたいですね。それがお金になって劇団に入ってくるのなら別なんでしょうけど。
この人間で、この場所だからこの作品だっていう共同作業を大切にしたいんです。
−脚本は役者に伝わっているんでしょうか。僕には難しかったんですが。
うーん。本が配られたときに、役者として面白いか面白くないか、感覚として掴もうとしている気はします。
稽古しているうちに、ああ、そうかっていうのが多いですね。
−話は変わりますが、寺山修司さんの影響をやはり感じるのですが、百億光年の、女三人のシーンや、客入れのときから黒子がいて、何か始まっているみたいな部分。
最近は脱却したかな、と思っていたんですけどね。(にがわらい)
−例えばどんな影響を受けましたか?いや、これは決して非難ではないのですが。
方法論にこだわるってことかな。舞台はどこにあればよいのか、どうすれば演劇は成立するのか、そういうことからスタートする発想でしょうね。
継続
−もちろん、アレフは続けていかれるんですよね。
うーん。どう答えたらいいか。そこが一番微妙なんですよね。
つまり継続を前提にした場合、アマチュアとはいえ資金とか運営とかのベースを考えざるを得なくなる。そうすると芝居づくりに緊迫感がなくなるんです。
やりたい質がまずあって、それをやるんだ、という事ですね。芝居を続けるために妥協妥協の連続になってしまう、そうならないようにならないようにって考えているんです。
−なるほど。では最後に本誌に対する忌憚のないご意見をお願いいたします。
劇団を始める前に、こういうものの必要性は感じていて、その点では歓迎すべきものだと思います。
只、一つ言わせて頂くと、批判するのにあまり表現に凝らないでください。オーソドックスに書いて欲しいです。自分の感想がどんな部分に起因しているか、もう少し正面から書いてもらえるとよいかな、と思います。
−どうも、大変参考になります。
本日はありがとうございました。
十一月七日 於東急ホテル
文責 本間盛行