演劇はどこまで手軽になるか?

とかく演劇には手間暇がかかる。それはいい。どんなことをするにも手間暇がかかるものだ。別に楽して演劇しようと考えているわけではない。

だがしかし、

  1. 稽古をもっと効率よく出来ないのか?
  2. 初心者に対する敷居をもっと低く出来ないか?

つくづくそう思う。

一点目は演劇を生活の中心にすえたい人たちのことで、二点目は演劇に少し触れてみたい人たちのことである。

とにかく(札幌の?)芝居の稽古は多い、長い。

主因は、作品の創造と俳優の個人的作業・スキルアップを同じ稽古の時間でやっていることにつきる。これは劇団の公演に限ったことではない。

無論、俳優の身体のあり方と実際の作劇は切り離せるものではないし、長い時間をかけることで、集団性が醸成されてくることも確かだ。

もっとも、こうした意義は、長い稽古の果てに結果論として感じられたことを後追いしているだけのことだ。俳優の身体のあり方やカンパニーの集団性を求めることと稽古の効率を上げることは対立しない。俳優が個人で出来る作業、演出が個人で出来る作業、稽古場でしかできない作業をきりわけることは可能だ。

そして二点目。演劇は場所があって人がいればできる手軽な表現のはずだ。もっと簡単に芝居ができるようになって、新しい趣味の候補の一つにテニスとか俳句とかビデオ撮影などに並んで演劇がはいればいい。