読書

夜。ただこわくてやるせなくてふとんによこになってつんである本をかたはしからつまみよみする。

中学生のための社会科〜吉本隆明、チェホフの戦争〜宮沢章夫、日本語で生きるとは〜片岡義男、誘惑者の日記〜キルケゴール複素関数入門〜神保道夫、魔人探偵脳噛ネウロ5〜松井優征

穂村弘的なるものとしての「日本」をその主語(アイ)となって語ろうとしているのが片岡義男に他ならない。という(あほらしい)思いつきが頭にうかび、やっと落ち着く。実際「『日米英会話手帳』という英語」という節は、世界音痴〜穂村弘と同じ語法で語られている。(力強くそう主張)
並行して、今年2月末に苫小牧で開催された苫小牧4丁目劇場主催・長谷基弘講師の「リーディングワークショップ」のことを考える。「桜の園」の発表に大笑いした。宮沢章夫は、この喜劇を不動産芝居と読みきった。なんだか、すばらしいとしかいえない。
そして、相変わらず、複素微分可能な関数が、どうして無限階微分可能かつ冪級数展開可能になるのかわからない自分を発見する。記号操作(代数)「二乗すると負」と超越的方法(解析)「微分積分の基本定理(グリーンの定理)」の帰結であるということはわかる。しかし、それは標語的な理解*1でしかなく、身体の芯からわかったという気がしない。俺は大学で何を学んできたのか。
わからないことがある、ということは救いである。それが自分の生活を蚕食*2しない限りは。
ラム酒ソーダ割りを飲みながらひたすら祈る。神を信じない人間に冒涜はあるのだろうか。

*1:と書いた後で、気がついたが、この理路は、コーシーの積分定理を経由している。無限回微分可能かつべき級数展開可能という事実は積分経由でしか理解できないのだろうか?ホントナニモワカッチャイナイ

*2:蚕食していないと気がついていない限りは?