サクラサクチル

今年に入ってから魔人探偵脳噛(のうがみ)ネウロ松井優征を読み出した。読み出したのは弥子が刑務所のアヤに面会に行く回の前後のあたり。あっという間に私の中のネウロ脳は成長した。

毎週ジャンプを買い続けていても、読み飛ばす漫画はある。が、そうした漫画も目にはいっている。意識せずに絵やネームに繰り返し触れている。睡眠学習をしているようなものだ。それがあるとき閾値を超え、突然読めるようになる。そうやって獲得する楽しみというのがある。メッセージインボトル。イェー。

そのネウロが今大変なことになっている。

ネウロは魔人である。魔界の生物であって人間ではない。彼(かどうかわからないが人間界では男の姿をしている)の食物は「謎」である。何かを隠しておきたいという意識の産み出すエネルギーである。彼は魔界で謎を食いつくし、食物を求めて人間界にやってきた。迷宮入りしそうな事件の謎を解決し、そのときに真犯人が放出する謎のエネルギーを食らおうという魂胆である。彼が最初に(正確には2番目にだが)解決した事件の当事者である桂木弥子を探偵役にすえ、自分は助手のフリをして事件を見つけ、解決し、謎を食う。これがネウロの作戦である。

桂木弥子は大食いの女子高校生で、かつ、スリムである。ネウロに担ぎ出され、半ばおどされて、探偵役をおしつけられる。ネットの世界では有名な女子高校生探偵、という設定まで与えられ、探偵事務所を開設させられる。が、人間洞察にすぐれた彼女は、犯人探しやトリックの暴きには一切手を出さ(せ)ないものの、動機や背後に隠れた人間関係をあぶりだす役目をはからずも務めてしまう。

こうした構造が連載当初から確立しており、この上に立脚したネウロと弥子の掛け合い、事件のエピソードと、けったいな画が魔人探偵脳噛ネウロという漫画だ。

けったいな画は真犯人の自白やネウロが魔界の道具を駆使する際、最高潮に達する。

  1. ダリとタンギーとキリコとベーコン(お好みに応じてシュルレアリストの画家何人か)をフリーソフトで合成
  2. 漫画を書くことに目覚めて2年くらいの中学生にこれを見せる。
  3. 記憶をたよりに書き写してもらう。

そんな画風。

ネウロと弥子のやりとりを手元にある第5巻から引用する。

  1. ネウロと弥子は大手調査企業の策略にのせられ港の倉庫に来る
  2. そこで二人は麻薬バイヤーにでっちあげられる。
  3. この取引は警察に通報されている
  4. 周囲を警官に包囲された中、ネウロは事態収拾のため、単身飛び出す

ネウロの顔のアップ、曲げた指を口元にあて、考えている表情】
ネウロ「奴等(運び屋のこと:引用者注)は貴様の名を知っていた」
「ここで我々だけが警察から逃げられても
やつらが捕まればマズい事をしゃべりかねん」

【口をぽかんとあけた弥子】
ネウロ(コマ外から)「そういうわけだ
我輩が戻るまで捕まるなよヤコ」

【倉庫の壁を垂直に登っていくネウロがこちら(弥子のいる地上)を振り返る全身像・仰角。ネウロの向こうに天頂の半月】
ネウロ「捕まったら…
殺すぞ」

【倉庫を飛び去るネウロの走出線。見送る弥子の後姿、後頭部からアセ】
シュッ

【倉庫の隙間に立つ弥子】
弥子(フキダシではなくナレーション)
「放置プレイだ…」
(`´;
「私の人生
全てを賭けた
放置プレイだ」

この連載漫画にはいくつかの縦軸的キャラクターが挿入されている。先に述べたアヤ(世界的歌姫にして、殺人犯。桂木弥子を一躍有名にした)もそうだ。今大変なことになっているのは、その中の一人、現時点でのネウロの最大のライバルXI(サイ)である。

サイは人間である。特異体質を持つ。自分の細胞を組み替え、誰にでも変化できるのである。そのことの代償として自分の正体がわからない。サイは「自分の中身が知りたい」という。知るためにサイは盗む。美術品を。人が人の中身を何とか外に出そうとした苦闘の痕を。が、それはサイの中身まではおしえてくれない。だから、サイは人も盗む。盗んで中身を観察する。観察するためにサイは人を細胞レベルにまでばらばらにして透明な立方体に詰め込む。まっかな四角い箱。それをサイは眺める。自分の中身を知るために。サイは「観察するのは得意なんだ」という。が、結局それも何も教えてくれない。サイは箱を持ち主のもといた場所に返す。結果は猟奇犯罪でしかない。

そのサイがネウロと出会う。興味を持つ。当然のことだ。人間でないもの。初めてサイとまともに太刀打ちできるもの。ネウロの中身を知ればサイも自分の中身がわかるのかもしれない。こうやってサイはネウロの最大のライバルとなった。

以上が二人の因縁だが、愛読者の私にさえ無理がある設定だ。どうして、人の中身を見たら自分の中身が見えるのか?そうやっていくつも中身を見て、結局わからないのに、まだ中身を見続けるのか?それ以外の方法はないのか?そもそもサイは人間か?ネウロが魔人であっていいのなら、何故サイは人間でなければならないのか?

突っ込みどころ満載だ。破綻している。と切って捨てることは簡単だが、この無理をおしたところに魔人探偵脳噛ネウロは成り立っている。

そして、最新号*1のジャンプ。ある芸術家の遺作を盗むと予告したサイ、その屋敷で起こった殺人事件を解決するネウロ。サイは屋敷の犬に化け、謎解きの瞬間のネウロを襲う。がネウロは難を逃れる。警察が乗り込んできた現場からネウロたちは離れ、建築中のビルのクレーンを舞台に対峙する。



【クレーン操作台の柵に腰掛けるサイ、クレーンの鉄骨の側面(上にではなく)に立つネウロ。はるか下、都会の風景】
サイ「来てくれてありがとう」

ネウロの顔アップ、以降のコマでは横向きにたっていることを示すためネウロは常に横向きに描かれる。サイにうけた傷から流れる血がシュウウウウと乾いた粉末になり散っていく】
ネウロ「フン」

<<中略〜盗難現場での警察、弥子たちの描写>>

【クレーンに横立ちするネウロ。それをみるサイ後姿】
サイ「ごめんね皆の前で発砲なんてしちゃって
あれくらって生きてたらあんたの正体あやしまれないかな?」

ネウロ表情アップ】
ネウロ「…フン
全く迷惑な話だ」
ネウロ「まあ…
我輩の奴隷が適当にごまかしてくれるだろう」

【サイ、バストショット】
サイ「どれい?
…ああ、あの娘(こ)か」

【サイの手が、何かを拾う】
サイ「…でも安心してネウロ
もう あんな罠は仕掛けていない」

【サイ、拾った武器らしきもの4本を抱え、ウィンクして】
サイ「もちろん
あんたの中身をみるのはあきらめていないけどね」

ネウロ。このコマは縦。サイをみつめているのだろう】
ネウロ「…」
サイ(コマ外から)「この前よりちょっと丈夫な刃物だよ
こんなんで歯が立てばいいけど」

【サイの手アップ、刃物の柄に当たる部分を左手のひらに突き刺している】
サイ「さっきの通り美術品だって観察すれば作者の人生が見えてくる」
ズブ
ズブ

【刃物をさしたサイの両手。左右2本づつの刃物をクロスさせて】
サイ「人の細胞を直にみれば…
もっと詳しくそいつ自身の組成(なりたち)を知れるんだ」

マトリョーシカが並んでいる】
サイ「体の性格
心の性格
仕草や得意不得意まで」
サイ「外見だけでもある程度はわかるけど…
完全に理解(なり)きるには中身を開いて見ないとね」

【サイの顔アップ。刃物を舌に当てている舌は半分近く切れて血が出ている】
サイ「俺の この尋常じゃない細胞の正体
ネウロ

ネウロアップ】
サイ(コマ外から)「あんたを刻んで
その細胞と比べればわかるかもしれないんだ」

【横倒しのネウロ後姿、その向こうにクレーン上部を登ってくるサイ】
ネウロ「…ククク果たして
今の我輩の細胞に見る価値などあるかどうか」
サイ「?」

【やや見上げるサイの横顔】
ネウロ(コマ外から)「いい事を教えてやろう
我が輩は以前よりたやすく殺せるぞ」

ネウロの顔半分、残りの半分は妊婦・胎児・遮光器土偶風人物のコンポジション
ネウロ「我が輩の体は…」
ネウロ「どんどん只の人間に近づいている」

【サイの眼アップ。目の下に汗一粒】
ネウロ(コマ外から)「魔界特有の濃い瘴気が地上には無いせいだろう
魔人としての体裁を保てなくなってきた」

【原爆(ファットマン*2)が投下されている。その下にマリオ風のビットマップゲームキャラクター】
ネウロ(コマ外から)「地上に来た当初であれば
たとえ核爆弾でも我が輩は殺せなかったろう」
ネウロ「だが今は通常火器にも防御が必要なほど…
肉体が地上の常識になじみつつあるのだ」

【目を見開いたサイのバストショット。頭部はコマをはみ出ており、目は見開いている】

ネウロバストショット】
ネウロ「その程度の刃物でも
あるいは今なら」
サイ(コマ外から)「ダメだよ」

【サイ。大写し】
サイ「許さないよネウロ
僕がどんどん得体の知れない化け物になってくのに…」
サイ「あんただけ普通の人間になっちゃうなんて…
そんなの許さない」

【横向きのネウロバストショット】
サイ(コマ外から)「俺の正体(中身)がすごい速さで変異していくんだ」
ミシ…

ネウロのバストショット45度の角度。】
サイ(コマ外から)「犬に化けるなんて…
ちょっと前の俺ならとても不可能だったのに」
ミシ…
ネウロの頭の横に気づき点→「ヾ」)

【足。右と左の側面から3本づつの指が生えて鉄骨をつかむ】
サイ「ねえ…
見てよネウロ
ミシ…

【鉄骨の「側面」に立つサイの全身。先ほど生えた指でしがみついている。刃物をぶら下げている】
サイ「今じゃ…」
サイ「あんたと同じ視点にだって立てるんだ」

【サイ表情。横倒し】
サイ「こんな俺は…一体誰なんだ?
ひょっとしてあんたと同じ魔人なのか?」
サイ「あんたの細胞が人間になっちゃったら…
それさえも確かめられなくなっちゃうじゃんか」

【コマのみ】
サイ(コマ外から)「だから許さない」
サイ「あんたが魔人であるうちに…
今殺してあげる」

<<中略〜現場での弥子の描写>>

そして、サイとネウロの戦いが始まる。クレーンの側面にぶら下がっての不安定な戦いの数コマに以下のサイのモノローグがかぶる

ネウロ

あんたにはわからない

自分の家族(ルーツ)さえわからない人間の苦痛

自分の正体(中身)を探せば探すほど

自分と近い人間を探せば探すほど

…自分が化け物だと気づかされる俺の苦痛

生まれついての化け物であるあんたにはわからない

そして

自分と同じ化け物(なかま)を見つけた喜びも

見つけたとたんそいつ化け物(なかま)じゃなくなっていく失望も

…あんたにはわからない

【迫るサイ。寂しげな目】
サイ(モノローグではなくフキダシで)「…ネウロ
もっと早く会いたかった」

ネウロ右手を掲げ攻撃をガード】
サイ「あんたの正体(なかみ)が…
こんなにも人間に近づく前に」

ここに語られている孤独はもうほとんど誰にも理解されないように思う。この「理解されなさ」は、もちろん、作品内での設定による。人間でありながら人間ではないもの。記憶のないもの。超然と魔界の生物として存在するネウロとの対比。

しかし、やはり、この点の設定はあまりにもウスイ。ネウロは魔人として登場したから魔人であり、サイは人間として登場したから人間である。それ以上の説明はない。そして、そこにリアリティは「ない」。だからサイの孤独は、作品内での孤独にとどまらない。それは潜在的読者にとっての理解されなさ、でもある。

本当のところ、これまでジャンプの読者でなかった人が、今号のネウロを立ち読みしたとして、ほとんどの人は、なんじゃこれ?で終るに違いない。そもそも、まず読みとおすこと自体に、困難を感じるだろう。画もコマ割りもネームも洗練されたものとは程遠く、そこに盛られた情報量の多さ*3は何が主線なのか、読者を困惑させるだろう。

作品のリアリティ(には画やネームの洗練も含まれる)を決めるのは、現実社会から出発してその作品に到達するまでの引用・参照・類似・強調などの濃度と配置だ。例えばこの作品に非常に近しい作品としてスピリッツ連載中のホムンクルス山本英夫、を私は思い出す。この漫画にはリアリティが、ある。洗練された画とコマ割*4、現実社会への参照と理路が作者に統御され描かれているからだ。ちょっとした手術の結果、主人公に能力が発現した場面の興奮は、相当な普遍性をもって人口に膾炙しうるだろう。

だが、やはり、私はサイのアンバランスな孤独がいとおしい。先行するジャンプ連載の諸作品、そしてこの漫画自身によってのみリアリティを与えられている孤独に、輝く可能性を感じる。この科白をそのまま芝居に引用したい誘惑に駆られる。

それにしてもネウロの読者は何人くらいいるだろう?ひどく少なくみてジャンプの読者が全国に百万人。その百分の一がネウロを読むとして1万人*5−これはほとんどすべての小説や演劇作品の読者・観客より、多い。そして、その多数が自然・家庭・人造文化の混交の只中にいる未社会人・半社会人であり、週刊少年ジャンプがそうした読者たちと協働しながら漫画を開拓してきたという事実もその輝きに彩をそえる。

ジャンプにあっては、社会性に直接さらされることなく、しかも理論や実験ではなく経済として、漫画作品の純化・抽象が行われ続けている*6。ジャンプで連載枠を獲得するには、読者に支持される魅力が必要だ。ネウロの場合、それは画であり、キャラであり、コマ割り、エピソードであって、全体をつなぐストーリーの妙ではなかっただろう。しかし、何故か、と書いて通り過ぎるが、いつのまにか作品はストーリーやテーマを求め始める。より強い牽引力を欲す。読者が要求するのか編集者に教育が行き届いているのか作者への啓示として訪れるのか、個々の現場を私は一切知らないが、連載がある一定期間続くと、当初なかった設定を捏造してまで、漫画は先に進む力を手に入れようとするのだ。その時、作品は、おおきく、あるいは、わずかに、きしむ。

おそらく、ネウロもこのきしみの先にはいけないだろう。ジャンプ作家の多くが転向を余儀なくされた*7ように。無論、ストーリー主義・テーマ主義の王道を行く漫画、このきしみを最初から内部戦略に取り入れた漫画も存在し、そうした作品が私は好きだ。しかし、偶然のように連載開始となった漫画がいつのまにかストーリーやテーマを求め(られ)、自らの設定が破綻することを隠そうともせず、あえいでいるさまは比類なく美しい。あの化け物、作品に「表現」を強いる主題という化け物の正体(なかみ)が、この場所にひそんでいるからだ。

「それ」に触れることのできた作品、見ることのできたジャンプ読者は本当に幸せものだ。おおげさにいって、詩人が海に沈む太陽に見たものの、ちょうど反対の極がここにある。

私はデスメタル*8を聞けず、ライトノベルがどうしても頭にはいってこず、ジャパニメーションも大方駄目であり、ゲームもほとんどできず、TVもめったに見ず、少女漫画はおろかジャンプ以外の連載漫画がほとんど読めない。私が通り過ぎてきてしまった、こうした世界の様々な場所でも、サイの、魔人探偵脳噛ネウロのごとき誇らしい孤独が、今も勝手に芽生え、花を咲かせているのだろうということが、たまらない。かくも自然で人工的な開花に、その結実の行方などしったことか、無制限の祝福を希わずにはおれない。

*1:21/22合併号

*2:長崎に投下されたタイプ

*3:実をいうと今号のネウロは非常に整理されている部類に入る

*4:シュルレアリスムからの引用もたくみに現実描写に接合されている

*5:実際にはジャンプの購読者だけで百万人を超えるだろうし、読者の1%しか読まないのであれば連載は打ち切られるだろうからこの数字は最低ラインだろう。
5/2付記。その後、ジャンプの印刷証明付部数が3百万部弱だということを知ったhttp://www.j-magazine.or.jp/FIPP/index.html。ということは3万人から20万人くらいが妥当か?って、これすごい数だよ。おい。

*6:余談。ジャンプの主戦力であるNARUTO岸本斉史に最近登場した第三の男の名が「サイ」であるが、登場は明らかにこちらの方が後なのである。たまたま編集部の検閲をすり抜けたのか、作者のたっての要望なのか。また、これは古い例になるが、ジョジョの奇妙な冒険第五部〜荒木飛呂彦における、すごいよ!!マサルさんうすた京介へのオマージュ(ジッパーやゴム人間)などにも見られるような、同時期の作品間での顕在的潜在的引用が文芸誌や演劇の世界にもあればいいのにと思う。

*7:これも余談。その転向に私は、希望を感じる。

*8:と今でもいうのかどうかわからない