ベルグソニスト

出社して、デスク回りを片付けるつもりだったが、外に出られずに終わる。ばらばらと同時散発的に本を読む。「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤〜下條信輔、緑の資本論中沢新一、夜と霧〜ヴィクトール・E・フランクル、0歳児がことばを獲得するとき―行動学からのアプローチ〜正高信男、プリオン説はほんとうか?―タンパク質病原体説をめぐるミステリー〜福岡伸一、現代詩文庫中原中也詩集。

途中で、俺はベルグソニストかと思う。っても物質と記憶も道徳と宗教の二源泉も時間と自由も五分の一も理解できた気がしないのだけれど。

例えば「もたれかかり」とか「ジャンプ」とか「よどみ」など、和語の文脈にあり、身体との親和性の高い言葉を使って、生物や時間について、ありのままに(直観的に?内在的に?)語る語り口は、蠱惑的だ。ほとんどそれは、真理だと、思いそうになる。でも、それはチガウ。とこれもまた、直感。

この貧相な直感からスタートし、実践とその記録にまで、すすむこと。ふん本当にそうかしら。