それから

現実感を欠落させたまま、出身中学までの道を歩く。
考えことをしていて落ちた用水路は柵で囲われていて、その緑が曇天の下鮮やかだ。この隔離感と色の鮮やかさは凶兆だなと思い、この感覚は代助が私に注入したものだと判明する。漱石のそれからの。
途中一度曲がり角を曲がり損ね、そのせつな、友人との帰り道、彼が新潮文庫のこころを僕に見せて「まるでタバコを吸うように読んでるねん」と語ったことを思い出す。すまん。いまだにその言葉の意味もわからんし、だいたい、こころはこわくてよんどらんのや。

夏目の呪縛から逃げるように坂道(くそっ)を歩き、ブルースリーにかぶれた三人連で「けってみい」と口走りながらテッコンドーの真似ごとをした神社をすぎて中学につく。
中一の私は肥満体で、部活の顧問に心臓に持病はないのかと心配されながら走った学校の回りを歩く。そのクラブを夏前にやめ、唯一人並みにできた水泳部に入ったそのプールは囲われていて外から見えない。
やがて申し合わせたように雨が降ってくる。学校の横の池は市民の森になっていて、閉園。閉ざされた鉄扉の脇に掲示板があり文科大臣がいじめに関する一文を寄す。
以上を中学の上にある公園から携帯で入力し、やや現実感を取り戻す。私が携帯を持てているのは奇跡だな。
公園には色鮮やかな梅と何の木か真っ直ぐな裸木が一本。梅以外はモノクロームだ。
かつての妻が81/2は途中から色が付いて見えるのだ。と繰り返して言ってたっけ。