Kさんへ

Kさん

コメントありがとう。一緒に芝居したことのある俳優で頭文字Kの人が存外多いことに気が付きました。日本人の苗字に多いってことか、とも思いますが。
どのKさんなのだろう?

さて、コメントをいただいた時、私はちょうど、東京に向かう深夜バスの中でした。同じツアーグループのバスの一台が炎上し、路側帯で取り残された人を私の乗るバスにピックアップし、最寄りのサービスエリアまで送る、というオプションもつきました。
こう書くと嘘みたい(実際夢だろうか、これは、と何度も思いました)ですが、次の日のyahoo newsにも載っていました。実に静かにバスに乗り込んできて、静かに下りて行った、あの人たちは、無事に東京やTDLに到着できたのでしょうか?

東京では、ゴーギャンのわれわれはどこからきたか、われわれはなにものか、われわれはどこへいくのか、と、モネの黄色いアイリスを見てきました。
東京国立近代美術館についたのが、午前8時、開館の2時間前でした。でも、前売りを買っておくのを失念していて、当日券の列に並ばされ、入ったときはすでに場内混雑していました。もう、最初の方の絵は一瞥すらせず、目的の絵に走りました。

いい絵でした。この絵だけを30分ほど見て、後は、もう一度、最初からザッピングみたいにして、一渡り眺めて、版画連作のノアノアにはずいぶん心ひかれたのですが、これも、またいずれ、と思って、それから、もう一度、見て、きっと、1時間もいなかったと思います。でも、もう十分おなかいっぱい。

そんなことはまあ、ありえないのですが、この絵が、油のにおいのする機械工場の壁にかかっていたら、素敵だろうなあ。

見飛ばした絵では、純潔の喪失というのが良かったです。男尊女卑ちゃあ男尊女卑の視線にこりかたまった絵ですが。それから、アルル時代の絵。ゴッホゴーギャンという芝居を演出したせいもありますが、ゴッホゴーギャンのじゃあ、どっちが好きよ?って聞かれると、迷いなくゴーギャンです。今は。

それから、上野に。国立西洋近代美術館の常設展で、きっと10年ぶりくらいの、黄色いアイリス。こっちも、あいかわらず好きでした。昔と違うのは、これ、どうやって書いたんだ?(やたら縦に長い絵なのです。3メータ近くあると思える)なんだか、それがずいぶん気になったことです。それと、最近買ったらしい、ヴィルヘルム・ハンマースホイのピアノを弾く妻イーダのいる室内、が、良い絵でした。欲しい、と感じるような絵でした。

大阪では、水都2009という、アート的なイベントをやっています。このダイアリーにもアップしたあひる(ひよこではありませんでした)を浮かべているイベントです。このイベントで展示されているヤノベケンジの作品の寒々とした感じと、ゴーギャンのそれ(ええ、やはり寒々としているのです)の間の違い、個人の苦悩の苦悩の仕方を、もう、私たちは忘れているのかもしれません。そして、それは、良いことなのかもしれません。きっと希望の形にこそ、頭を使うべきなのです。

ぼちぼちとしか読めなかったアメリカの鱒釣りを、帰りのバスで読み終えました。こちらも読み切ろうと思っていた、Xのアーチは、結局、1ページも開かず。東京は秋でした。

そんな休日を過ごしました。体調はso so。文化的行事はこれくらいにして、冬まで少しがんばって泳ごうと思っています。

それでは。