観劇2つ

スペインから帰って、京都国際舞台芸術祭。

先週はチェルフィッチュ、今日はペニノ。

もちろん全く違う芝居なのだが、音楽への微妙なスタンスに、共に感じいる。

私は京都音楽博覧会で洗脳されたかのように踊る人間であり、同時にそれはどうなのと恥ずかしくなる人間でもある。

両劇団ともとても自然にスマートにその折り合いをつけていた。

劇に音楽はあった方が豊かで、でもあるだけなら貧しい。

語彙が足りないけれど、この貧しさは、多分、「グローバリズム」の貧しさと同じ、全く同一の意味で。


びば!日本語口語演劇!