今日も石狩。凍った鮭児を見た。指でコツコツ叩いた。

坂東眞砂子日経新聞のエッセイに子猫殺しについて書き、抗議が殺到していることをインターネットニュースで知る。胸が苦しくなる。
抗議もそれを伝える記事も読む自分もタヒチに住んでいる作家にも、いきぐるしさがつのる。

ギュンター・グラスナチス親衛隊に所属した過去を告白したこと、栗良平の「一杯のかけそば」、大江健三郎が否定した「何故ひとを殺してはいけないか」という質問。そうしたいきぐるしさ。

何だろう?

ひとの言葉に触れ、心が動く。その由来と落とし前をどうあっても一元化したいのか?
それぞれの生まれた場所とそれぞれの行き先を持つ、たくさんの心があるだけではいけないのか?