hommam2006-09-24

Un girasol de la noche
(夜のひまわり)


昼をはさんで、セカンドライフの稽古。それから街をふらつく。アナ・スイのパープルの似合う人に会いたい。単なる願望(欲望)として。

夜。ホントに焼いた本焼そば〜エースコックホンコンやきそば〜S&Bフーズを誠実につくったらこうなるのか?という味。小失敗。それから部屋で入るのはずいぶん久しぶりのような気のする風呂。Kind of blue〜マイルス・デイビスをかけながら、ショートホープを吸いながら、ウィスキーのソーダ割を飲みながら、大量の洗濯物を洗いながら、長湯。

「so what 」Kind of blueは不思議な曲だ。この曲がジャズの大きなターニングポイントだったという文章には何度も触れた。が、感じるのは、その音楽の、徹底した慎ましやかさだ。SDプレーヤーに入れ、歩きながら聞いていても、隔絶へと人を向かわせない。風景を染めようとしない。今歩いている景色にそっとよりそい、ただ傍らにいる。音楽が何も考えずに景色を見つめている。そうした印象だ。もしかすると、それは私の年や精神状態のせいかもしれないし、現代ニッポンサラリーマンが蓄積した音楽経験のせいなのかも知れない。あるいは、携帯音楽プレイヤーのテクノロジーの成果かもしれない。

にしても、マイルス・デイビスは、自分の音楽が持ち運ばれることを想像していただろうか?だから、持ち運べる演劇というものを考えてもいい。それがどんなものかはうまく、いえないが。