目上目下

朝。
作業先、構内の小さな庭でスペイン語を聞く。太陽びかー汗がだー。空は真っ青。まるで小学生の夏休みだ。
イアフォンからの講師の呼び掛けに「はい」と答える。そして気付く。
ああ、このはい、は父が時折、医師や看護婦に応答する、はいと同じだ。―(本間さぁん、わかりますか?はい。お名前は?はい。あつくないですか?はい。さむいですか?はい。てをちょきにしてください。はい。はい。はい。―手は握ったままで、応答に間髪はなく)―

イントネーションといい口調といい、そっくりだ。
素直とおもねりと反抗心のまざったような、その父のくちぶりを、病床の上で私は初めて聞き、私の知る父との違和を覚えたのだが、なんだ、あれは自分のくちぶりだった。


父子の繋がり。だけでもなかろう。(日本社会のいくらかの世代にプリセットされた)目上目下の関係が、今、あの、この身体に体現している。